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結核対策と予防会のあゆみ

戦後復興期(1946-1950)

予防会の創立時には政官民協力して資金の造成に努めたが、終戦までに集めることが出来た寄付金の合計は実に14,416,012円に上った。現在の貨幣にすれば100億円を超える金額である。当時はこれらの動産の大部分を国債、国策会社の社債などにして保有していたため、終戦とともにその大部分を失った。終戦時336人の職員を抱え事業を実施していた当会は経営困難となり、1946年7月にはついに113人の退職者を出し、組織の簡素化、再建が急務であった。その上、創立時より実際上の経営に当たってきた常務理事、結核研究所長を始め主要役員は大部分が辞職した。予防会会長は厚生大臣、理事長は厚生省次官というように、政府に全面的に頼りきっていた予防会は、戦後は組織の上でも民間団体として民主的に再出発することが必要であった。

一方、戦後の生活荒廃、栄養不良などで結核のまん延は著しく、戦後の混乱で死亡統計を始めデータはないが、水道橋の第一健康相談所には健康診断、あるいは人口気胸受療者などがつめかけ、戦後の混乱の中で病む人、心配する人、助けを求める人で診療所、療養所は混雑し、結核予防の活動も求められた。また、政府に対しては健康診断の結果を示し、結核予防の理論と経験を述べて「対策の推進」を強く要望した。

年・月 時代区分・時代背景 年・月・日 予防会の事項
1946・11 新憲法発布 46・3 寄附行為改正、民間団体として再出発
    46・3 東部中央健民修練所を移管され「上北沢予防所」発足
    46・7 有楽町などでの街頭健診(注5
47・5   47・5 BCG調査研究委員会設置
    47・11 結研附属療養所を開設、152床
    48・2 第1回結核専門医講習会
49・5 10周年記念式(結研で挙行) 49・2 BCG凍結乾燥ワクチン製造開始(注6
    49・6 第1回支部長会議(54年に第1回全国大会と改称)
    49・11 結核予防週間開始
50・12 長野県御代田村小学校集団感染    
51・2 秋田県下井河村小学校集団感染    

注5:有楽町などでの街頭健診(1946年7月)

46(昭21)年7月15日、戦災の痕もまだなまなましい炎天下の有楽町に2張のテントを張り、レントゲン撮影機2台を備えて、上北沢予防所の職員は青年団、医学生などの援助を受け街頭での健診に乗り出した。X線検査のほか、求めに応じツベルクリン反応、BCG接種、コレラ、百日咳の予防注射、ビタミンBの注射などをいずれも市価の3割程度で奉仕した。食料不足と悪性インフレーションで結核が爆発的に増えることが恐れられていた。受検者には都民はもとより神奈川、千葉、埼玉の近県のみならず、愛知、青森の人もあり、正午までに500人を超え、午後5時には2,000人を超えた。そして受検者の実に19%という高率で結核が発見され、その半分は菌陽性だった。

はじめ1週間を予定していた街頭健診は1ヵ月続き、他の地域にも広がっていった。この事実は新聞にも連日大きく報道され、結核対策推進の世論を大きく喚起した(岡惺治著:『身体検査物語』書苑新社、2003年10月刊による)。

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注6:BCG凍結乾燥ワクチンの開発(1949年2月)

わが国では42(昭17)年から国民学校修了後就職する者を対象に、集団的BCG接種が開始されていたが、当時のBCGワクチンは液体ワクチンで、製造後1~2週間以内に使用しなければならず、製造は各地に分散して行われたが、国定検定が終わらないうちに使用しなければならなかった。このような状況の時、京都、鳥取で相次いでジフテリア注射禍事件が発生し、CHQ命令でBCG接種も中止となった。

長期保存に耐えるワクチン開発のため、乾燥ワクチンの研究は多くの研究者により42(昭17)年頃から始められていたが、予防会では結核研究所が保生園に設けられると、間もなく研究の重点をBCGワクチンの製造の改良に置き、清瀬に移っても47(昭22)年5月には「BCG調査研究委員会」を設置して研究が強力に進められた。凍結乾燥を行うBCG菌の発育時期、溶媒に蔗糖を用いること、電気熔封(ようふう)法の開発など多くの研究の結果、ある程度の高温の室温で保存しても1年は使用できる凍結乾燥ワクチンの製造に成功した。このワクチンは世界すべての人に役立てるべきであるとし、製造法の特許申請は一切行わず公開した。このワクチンは58(昭33)年、WHOのreference vaccineとして採用された。

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