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結核対策と予防会のあゆみ

全国的対策実施期(1951-1961)

戦後の社会、経済、政治的混乱からまだ完全には抜け出せない51(昭26)年3月31日、結核予防法が大改正された。19(大8)年に制定された旧結核予防法は、人口5万人以上の年は療養所を設置することや、消毒の強制、健康診断などを決めていたが取り締まる一方の法律で実効性はほとんどなかった。しかし今回は、(1)国民病といわれる結核に対する対策強化の世論の盛り上がり、(2)全国にわたる保健所網の整備、(3)技術者の養成、(4)BCG接種、集団健診に加え、ストレプトマイシン(SM)が一部とはいえ使えるようになり、(5)結核療養所も11万6千床余とかなり整備されたため、(6)結核対策を一元的に実施する必要があった。51年に大改正された結核予防法により、全国一様の対策が進められ、結核予防会は国への意見具申、BCG接種、結核集団健診、外来診療、療養所の運営、医師など専門技術者の研修など、広範囲に積極的な活動を展開した。

年・月 時代区分・時代背景 年・月・日 予防会の事項
1950・6 朝鮮戦争勃発    
51・4 改正結核予防法施行 51・3 『結核集団健診の実際』の発行(注7
51・11 BCG論争    
52・5 結核死亡半減記念結核対策推進 52・1 新宿診療所開設
  大会(日比谷公会堂) 52・11 第1回複十字シール発行
53・2 NHKテレビ放送開始 53 第1回結核実態調査実施(注8
53・7 朝鮮戦争休戦協定調印 53・4 渋谷診療所開所
    55・3 『複十字』誌発行を開始
    55・11 保生園退園者の団体「保生会」結成大会
    56・10 秩父宮記念病棟を結核研究所附属療養所に開設
    56・11 保生園委託病棟を含め490床(注9
    57・3 新宿診療所を移転し、秩父宮記念診療所と改称
    57・9 長野県結核予防婦人会結成
    58 第2回結核実態調査実施
    58・4 結研付属療養所として独立、636床
59・5 20周年記念式典、皇后行啓(東京都社会事業會舘)「これからの結核対策はどうあるべきか」 59・10 渋谷診療所新館落成

注7:『結核集団健診の実際』の発行(1951年3月)

X線検査の際に蛍光板に映った陰影を、写真機で小さなフィルムに写してこれを診断に使う「間接診断法」は、東北大学の古賀良彦により41(昭16)年に発表され、まもなく各地に広がった。しかし、実際には健診方法、判定基準、事後指導はばらばらで、成績を比較することもまとめることも出来なかった。この結果、受検者には誤解、混乱を招くこともあった。このため全国的に統一した方法の確立が望まれたが、X線写真の撮影基準、判定基準、病型分類、指導基準など、検討すべき問題は多く、当時としては健診方法の確立は気が遠くなるような大事業だった。

この中で、当時第一健康相談所で健診事業に携わっていた医師を中心に、結核予防会の医師など13名が総力をあげて作り上げ、51(昭26)年3月に刊行した本書は、230頁の厚い本文のほかに39枚のX線写真図譜、さらに間接撮影写真(60枚)および直接撮影写真の部分のコピー(4枚)もつけて発行したのだった。

この本は医師のみならず、X線技術者、保健師を初め結核健診に携わる多くの人に受け入れられ、この本によって全国統一の方法で世界に冠たる「結核実態調査」が可能となり、全国にレベルの高い結核健診が普及したのだった。

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注8:第1回結核実態調査

53(昭28)年に実施された結核実態調査は、国の結核まん延状況を正確に明らかにした世界で初めての大規模な調査であり、世界に誇れる調査である。全国の厚生行政基礎調査地区338,522地区から層化無作為抽出で211地区を選び、調査地区とした。水害で除外された1地区を除き、対象者総数は51,011人、調査地区を管轄する保健所長が班長になり問診、ツベルクリン反応検査、胸部間接撮影、必要な人には直接撮影と菌検査を行ったが、X線検査受検率は99.3%という高率であった。この結果、有病率は3.37%、全国には292万人の患者がおり、このうち自分で結核であることを知っていた患者は21.4%だけで、大部分が自分の病気に気付いていないことが明らかとなった。結核は都市にも農村にも、若年者にも高年者にもまん延し、日本全体が粟粒結核になったようなものだ、と総括されたほどである。

この結果、国は大改正したばかりの結核予防法を再び改正し、健康診断の対象を全国民(乳幼児を除く)に拡大した。

このように大規模な結核実態調査は、その後5年ごとに1973年(昭48)年まで5回繰り返され、まん延状況の推移が明らかにされた。以後は結核サーベイランスが確立したので、国のまん延状況はこれで正確に把握されている。

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注9:保生園、結研附属療養所の委託病棟

結核予防会の動産は、大部分が満州鉄道などの国策会社の債券として保持されていたため、敗戦とともに大部分を失うこととなった。しかし結核医療を進めるためには、結核病棟を建築し運営する資金が必要であった。一方、各企業では職員の結核発生が後を絶たず、その治療に当たる医療機関を探すことが切実な問題であった。この両者の要望を結びつけ、委託病棟という形で病棟建設が始められた。

41(昭16)年2月 保生園に東京ガス株式会社の平心寮を開設。

49(昭24)年12月 結研附属療養所に東京電力委託病棟を開設。

以後55(昭30)年12月までに、保生園では、東京ガス(50床)、第一銀行(20床)、高島屋飯田(10床)、第一生命(30床)、NHK(15床)、シチズン時計(10床)、国際電電(30床)の7社、計165床、自前の病床を加えると最高時には490床であった。

結研附属療養所では、国鉄(117床)、官公庁非現業(54床)、富士銀行(74床)、東京国税局(50床)、朝日新聞(50床)、日本銀行(81床)、日本軽金属(30床)、東京電力(66床)の8社、計522床の病棟の委託を受け、自前の病床を加えて636床で治療に当たった。委託病棟での診療は、それぞれの健康保健組合からの直接の委託だったため、いわゆる健康保険による診療制限は無く、自由にX線検査などの各検査、治療が可能だったので、いわば最も望ましい医療が行われ、これはまた結核の臨床研究にも大きく役立つこととなった。

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