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結核対策と予防会のあゆみ

結核対策最盛期(1962-1973)

51(昭26)年からの新結核予防法の施行でBCG接種、結核健診は全国で行われ、55(昭30)年以後は、名実ともに体制が整い全国で熱心に実施されたが、登録票の整備、患者の指導などは未熟なまま残されていた。そこで58(昭33)年7月に「結核患者管理研究委員会」が組織され、本格的研究に着手した。59(昭34)年には全国から216保健所を選んで試行を行い、61(昭36)年5月に結核予防法の一部改正を行って全国で患者管理の徹底に乗り出した。これにより、結核対策の方策は名実ともにすべてが完全に整ったのである。

それ以後73(昭48)年までは、国、都道府県、保健所、さらに結核予防婦人会など多くの民間団体の協力を得て、結核対策はまさに全盛期を迎えた。結核罹患率は77(昭52)年まで毎年約11%という世界で最も速いペースで減少した。結核予防会も、この時期にはまさに結核対策の中心となって、活発に全国でさまざまな活動を展開したのである。

年・月 時代区分・時代背景 年・月・日 予防会の事項
1962・6 患者管理制度整い、結核対策すべて完備    
    63 第3回結核実態調査実施
    63・6 第1回国際結核研修コース開講(注10
64 WHO第8回結核専門家会議:X線健診、療養所治療を批判    
64・10 東海道新幹線開業、東京オリンピック開催    
    65・4 結核研究所改築工事落成
    65・7 第1回結核予防関係婦人団体幹部講習会(通称:御殿場講習会)126名参加(注11
    66 第1回移動セミナー(徳島県、宮城県)
    66・10 国際結核予防連合東部地域委員会(産経会館国際ホール)
    67・2 「結核予防会肺がん共同研究班」発足(注12
    67・5 国際研修がWHOとの共催となる
69・5 創立30周年記念結核予防全国大会、皇后行啓(東京プリンスホテル)
特別公園「日本の結核と外国の結核」
   
70・3 大阪万博    
    71・10 保生園病院と改称
    73 山梨県支部が統合支部となる。以後支部の統合進む
    73・9 第22回国際結核会議開催〔ホテルニューオータニ〕(注13
参加82ヵ国、外国人1,104名、同伴550名、国内636名参加

注10:第1回国際結核研修コース(1963年6月)

63(昭38)年5月、コロンボ計画に基づく政府委託事業として、当時の海外技術協力事業団(OTCA、現・JICA)と予防会は委託契約を結び、国際研修を発足させた。第1回研修会はタイ、フィリピンなど4ヵ国から7人の医師が参加、6ヵ月のコースであった。当時はX線写真の読影にも力を注ぎ、実習を含め6ヵ月のコースを英語で運営するのは大きな負担であったが、その後年々順調に運営され、参加者も次第に増え、さらに67(昭42)年からはWHOとの共催となり、WHOから毎年数名の講師も派遣されるようになった。このため、結核研究所の医師は世界的に一流の学者と直接接触するようになり、研究所のその後の発展にも大きく影響している。

国際研修はその後、ますます活発になり、細菌検査技師を対象にしたコースなど種類も増え、2008(平成20)年7月には、結核国際研修45周年記念祝賀会が開催された。これまでに卒業生の総数は97ヵ国、2,082人(2008年9月現在)にのぼっている。

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注11:第1回結核予防関係婦人団体幹部講習会(1965年7月)

50(昭25)年、結核予防を旗印とする婦人組織が長野市に生まれ、57(昭32)年には、全県を結んだ結核予防婦人会連合会に成長した。次いで58(昭33)年に、静岡県に全県組織の結核予防婦人会が組織され、それ以後各県に「結核予防は主婦の手で」のスローガンの下に運動が広がっていった。このような状況の下、65(昭40)年7月、御殿場の秩父宮妃ご別邸に隣接する東山荘で、第1回結核予防関係婦人団体幹部講習会が2泊3日(翌年から3泊4日)で開かれた。この講習会は通称「御殿場講習会」と呼ばれて親しまれ、毎年全国から130~230人の婦人会幹部が集まって合宿・講習を受け、結核予防婦人会の育成に大きく役立った。96(平成8)年の第32回講習会のあと、総裁が秋篠宮妃殿下になられてからは会場が東京都内に移されて「結核予防関係婦人団体中央講習会」と名称を変え、現在も続けられている。御殿場講習会と中央講習会をあわせると全国からの婦人会幹部の参加者は合計約6,200人を越えている。

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注12:「結核予防会肺がん共同研究班」(1967年2月)

1960年代の後半頃から、胸部X線健診で結核の発見が次第に少なくなる一方、肺がんを疑わせる例の発見が増えてきた。このため、67(昭42)年2月に開かれた予防会医師研修会で肺がん発見にどのように取り組むべきか、共同研究班を組織して取り組むこととなった。この研究を進めるため「結核予防会肺がんスクリーニング分類」を新たに作成し、全国13支部、本部の5施設が参加し、4年間の継続健診を行って肺がんを見逃さず早期に発見し、一方不必要な精密健診を可能な限り減らす方策を検討した。研究対象は4年間で延べ482,987人にのぼり、「肺がんスクリーニング分類」の有効性を確認すると共に、健診に当たる医師の肺がん診断能力向上に大きく貢献した。また、この研究会の活動は、国が肺がん健診を老人保健法で取り上げることにも寄与した。

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注13:第22回国際結核会議(1973年9月)

結核予防会は52(昭27)年12月、IUAT(現・IUATLD、国際結核肺疾患予防連合)に加入し、66(昭41)年10月には、IUAT東部地域委員会を東京で開催し成功を収めていた。またこれより前、60(昭35)年からOTCA(現・JICA)を通しての国際協力を少しずつ始め、63(昭38)年6月からは国際研修も開始、国際交流は次第に活発になってきた。このような状況下、第22回国際結核会議を東京で開くよう多くの国からの要請を断りきれず、73(昭48)年9月ホテルニューオータニで世界大会が盛大に開催された。「日本の結核と対策の過去・現在・未来」という特別講演、「結核の初感染発病と再感染発病」についてのシンボジウム、オランダからは「結核感染危険率を中心とする結核の疫学研究」など目覚しい学術講演が続き、一方、多くの同伴者が参加した「婦人プログラム」、盛大なレセプションなど、総数2,307人が参加し、5日間にわたった国際会議は後々まで語り継がれる大成功を収めたのであった。

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