• トップページ
  • 結核対策と予防会のあゆみ
  • 結核の歴史
  • 今後の結核対策
  • 1939-1945
  • 1939-1945
  • 1946-1950
  • 1951-1961
  • 1962-1973
  • 1974-2006
  • 2006.12-
  • 複十字シール大図鑑
  • 機関誌「複十字」バックナンバー
  • 結核予防全国大会開催記録
  • 結核アーカイブス
  • 過去の取り組み

結核対策と予防会のあゆみ

結核対策転換期(1974-2006)

74(昭49)年6月、それまで毎年実施していた小中学生の胸部X線健診とBCG接種が入学時の1回(中学生は当初卒業時)に定期化され、全国民が毎年1回結核健診を受ける体制が大きく変わった。世界的に見ると、実は64(昭39)年のWHO結核専門委員会第8回報告から健診や療養所での長期治療には批判が強く、74(昭49)年の第9回報告でも「第8回報告の正しさ」が再確認された。このため、先進国ではどこでも「いわゆる古典的結核対策」が見直され、有症状受診による患者発見、短期入院と外来による治療政策へと転換が進んでいた。その上、健診による結核発見率の低下などから、わが国でも見直しが進められた。しかし健診を中心的事業の一つとしてきた予防会では、健診の間引きは経営困難をもたらし、加えて保険点数の関係上いくら診療しても療養所は赤字となり、経営上困難な時期が続いた。このため結核対策改定への対応、診療分野の拡大、合理化の徹底など、予防会には苦難の対策転換の時期が長く継続し、支部は日本対がん協会支部などと統合が進められた。

年・月 時代区分・時代背景 年・月・日 予防会の事項
1974・6 小中学生健診、BCG接種定期化 74 保生園本館改築(本館3階建て100床)
74 WHO結核専門委員会第9回報告:第8回報告の正しさを確認 74・7 結核予防会「肺がん健診研究委員会」を設置
75・5 化学予防を中学生まで広げる 75・5 本部ビル新築完成(注14
    75・6 寄附行為大改正、事業の範囲を「結核を中心とする疾病」に拡げる(注15
    75・10 結核予防婦人団体連絡協議会結成
    76・11 結研附属療養所本館新築、結核250床、一般78床、計328床
    78・5 「(第1次)結核予防会将来構想委員会」報告:本部直轄事業所の経営健全化を強調(注16
79・5 第30回結核予防全国大会〔和歌山市〕 40周年記念事業は実施せず    
82・4 高校生の健診を定期化    
    84・8 「結核予防会肺癌健診対策委員会」発足:1.早期発見、2.細胞診、3.精度管理、4.調査・統計の小委員会を設置
86・3 HR主軸の6~12ヵ月療法を認める    
87・1 結核サーベイランス事業開始    
87・4 肺がん健診、乳がん健診が老人保健法の事業となる    
89・5 50周年記念結核予防全国大会(ホテルニューオータニ)天皇皇后行幸啓
特別企画「かく闘えり、かく闘わん」
89・1 保生園新館竣工(本館に98床)
86・12~
91・2
いわゆるバブル景気 89・5 「(第2次)結核予防会将来構想委員会」報告(注17
    89・6 結研附属病院を「複十字病院」、保生園病院を「新山手病院」に改称
92・11 小中学生のX線健診原則的に廃止を提言    
92・12 定期外健診ガイドラインを発表、「結核患者収容モデル事業」開始 94・4 秋篠宮妃殿下が総裁になられ、秩父宮妃殿下は名誉総裁になられた
95・12 活動性分類改正通知 95・3 新山手病院を閉鎖し、複十字病院に統合案提示(注18
96・4 PZAを含む6ヵ月療法を標準治療とする 97 新山手病院1日平均入院90人、外来243人、職員135人
    97・11 秩父宮記念診療所を閉所し、第一健康相談所に統合
    97・12 複十字病院南館、新外来棟を新築
    98・6 複十字病院健康管理センターで人間ドック開始
    98・6 複十字病院に整形外科、神経内科病棟開設
99・3 60周年記念結核予防全国大会(ホテルニューオータニ) 天皇皇后行幸啓 シンボジウム「21世紀に向けて結核対策の転換を」 99・3 「21世紀の結核予防会」構想委員会報告(注19
99・7 「結核緊急事態宣言」発令 99・10 複十字病院 訪問診療開始
    99・12 介護老人保健施設「保生の森」開設(注20
00・5 WHOがStop TB Partnershipを正式承認 00・4 複十字病院 地域医療連携室設置
    00・8 複十字病院に多剤耐性結核専門施設を開設(注21
    01・2 新山手病院 結核病棟を改修
    01・4 第一健康相談所の2階診療エリアを結核診療に対応
03・4 小・中学生のツ反応、BCG接種を原則廃止 03・7 複十字病院第1回登録医制度総会を開催 登録医223名(注22
    03・9 第一健康相談所 生活習慣病改善指導開始
04・4 「指針」改定により乳がん健診は40歳以上、隔年健診に、子宮頚がん健診は20歳以上、隔年健診に 04・4 複十字病院 乳がん健診開始
    04・5 新山手病院循環器病センター開設(注23
    04・11 グリューネスハイム新山手開設(注24
05・4 結核予防法の一部改正、以後混乱が続く 04・3 第1回マンモグラフィ講習会を開催
    05・4 本部事業部に「健康ネットワーク事業」担当を置く
06・4 国はマンモグラフィ健診車250台整備計画を打ち出す 06・3 渋谷診療所を閉鎖(注25
    06・4 第一健康相談所 人間ドック健診施設機能評価認定取得
    06・4 COPD共同研究委員会発足(注26

注14:本部ビルの新築(1975年5月)

本部ビルの新築は、結核研究所・本部等の収益を伴わない部門の資金を創出する目的で計画された。73(昭48)年5月旧ビルの取り壊しにかかり、75(昭50)年5月、地上9階地下1階、延べ11,526,32m²の新ビルが完成した。当初は2階を第一健康相談所、3階を本部とし、他はすべて貸店舗および貸事務所として使用した。しかし、当時はオイルショック後の厳しい不景気の時代で、空室が続いたが、懸命な努力により77(昭52)年初頭には満室となった。本部ビルの貸室収入は、現在も公益事業実施に大きく貢献している。

▲ページ上部に戻る

注15:寄附行為の改正(1975年6月)

65(昭40)年頃になると、戦後まん延を極めていた結核は一応の落ち着きを見せ始めたが、この結果、入院患者は急速に減少し、68(昭43)~77(昭52)年の10年間の累積赤字は約24億6千万円にのぼり、年により4~5億円の赤字を出すに至った。しかも病院の建物の老朽化も進み、改築が迫られていた。赤字の一部は清瀬と東村山の土地の売却で凌いだが、経営全体を見直すことは避けられない状況であった。

このような状況の下で将来を見据えて「寄附行為」の改正が行われた。この時の改正は「予防会の目的および事業」の改正で、「国民の結核予防、並びに治療に関し必要なる事業」を、「結核を中心とする疾病の予防、並びに治療に関する事業を行い、以って国民保健の向上を図る」と改め、さらに「国際技術協力」もその事業に加え、時代の要請に応じて事業内容を拡大できるよう改正を行った。

▲ページ上部に戻る

注16:「(第1次)結核予防会将来構想委員会」報告(1978年5月)

結核まん延状況の改善、対策の変化、困難な経営、将来見通しの不明さなどから77(昭52)年7月に「結核予防会将来構想委員会」報告が出されていたが、「結核に対する関心の低下を防ぐため」広報の活性化、健診精度の向上に努めること」などがうたわれていた。この報告も受け「将来構想委員会」報告では「疾病対策のモデルとして困難な闘いを着実に続ける」と共に、「直轄事業所の経営の健全化を最大の目標として」努力すべきであるとやや抽象的な結論にとどまった。

▲ページ上部に戻る

注17:「(第2次)結核予防会将来構想委員会」報告(1989年5月)

78(昭53)年頃から結核の減少はやや鈍化し、集団感染事件もしばしば報告されるようになった。結核対策は、高校生の健診の定期化、RFP・INH併用療法の採用、老人保健法による肺がん健診の実施などで徐々に改善されていった。89(平成元)年5月の予防会創立50周年記念結核予防全国大会では、天皇皇后両陛下の行幸啓をお迎えして盛大に行われた。

全国大会の翌日、シンボジウム「予防会の今後のあり方」で構想委員会の結果が報告された。しかし、委員会報告を簡単にまとめれば「最近まで進めてきた方向が総体的に見て正しかったことを確認した」とされ、保守的な印象を与えることとなった。

▲ページ上部に戻る

注18:新山手病院を閉鎖し、複十字病院に統合案提示(1995年3月)

複十字病院は84(昭59)年から、新山手病院は81(昭56)年からの経営赤字が続き、複十字病院は94(平6)年から黒字に転じたが、新山手病院の赤字は解消しなかった。この事態に対し91(平3)年10月「新山手病院経営再建委員会」が設置されて検討を開始したが、94(平6)年5月、理事長私案として新山手病院を複十字病院に統合する再建案が提示された。

これに対し、新山手病院からは反対の声が強く、地域医師会や住民からも反対の意見が盛り上がった。さらに、希望退職者は予定人数を大幅に下回り、閉鎖統合案は実施困難といわざるを得なかった。新山手病院の病床数は96(平8)年末には、スプリンクラー設備がないために、本館の30床が使えず実働108床と減少したが、職員一同は一致協力して働き、赤字幅は縮小し、老人保健施設の開設以後は黒字に転じた。

▲ページ上部に戻る

注19:「21世紀の結核予防会」構想委員会報告(1999年3月)

結核予防会は99(平11)年5月に創立60周年を迎えるのに備え、98(平10)年7月、「21世紀の予防会」構想委員会を立ち上げ、将来方向を探ることとなった。委員会は「総括」、「研究・研修・国際協力」、「本部・医療事業」、「健診・支部事業」、「啓発・資金造成・婦人会活動」の5部会を設けて討論を重ね、99(平11)年3月報告書をまとめたが、A4判66頁に上る膨大なものであった。その要旨には、『創立六十周年史』の580~604頁に掲載されている。全体として「なお当分の間、結核予防会という名称や寄附行為に定める目的、事業を変更する必要はない」とし、「関連領域の事業を積極的に取り入れ、人事・給与制度の見直しをするなどにより経営の安定を図り、将来も本来業務を滞りなく遂行できるよう努力しなければならない」としている。この報告もおおむね従来の方向を認めるものであった。

▲ページ上部に戻る

注20:介護老人保健施設「保生の森」開設(1999年12月)

新山手病院ではさまざまな再建策が議論されたが、東村山・清瀬地区には高齢の結核回復者が多く住んでいるが、回復者や肺機能低下者を受け入れる老人保健施設がなく、これを求める声が強かった。新山手病院には、呼吸器の専門医も多いので、酸素配管設備を備えた部屋44床を含む100床の介護老人保健施設を新たに建設し、病床減少による余剰職員を受け入れ、老人保健施設に入所できなかった結核回復者、肺機能低下者のリハビリテーションも可能な施設を併設すれば、経営にプラスとなり、予防会の使命にも合致するので建設を計画した。この案は、国・都からも強く支持され、計画は順調に進められ、9(平11)年12月に開所した。以後、ほとんど常に満床を続け、経営的に大きく寄与している。

▲ページ上部に戻る

注21:複十字病院に多剤耐性結核専門施設を開設(2000年8月)

複十字病院は95(平7)年厚生省HIV合併結核対策モデル事業で、HIV合併結核患者用の病室の整備を行ったが、99(平11)年度に多剤耐性結核専門医療機関整備事業により結核隔離病棟全体の陰圧化とホール、ナースステーションの陽圧化を行った。この他、結核菌検査室のP3レベルへの改修など、必要な部屋の改善も行ったことはもちろんである。こうして院内感染防止対策を進め、多剤耐性結核患者診療体制を整備し、結核専門病院のモデルとなった。

これらの設備による感染防御の有効性を確かめるため、室内粒子密度の測定、煙による気流の確認、気流シミュレーションによる空気浄化度のコンピューター解析などを実施して安全性を確かめ、専門的病院として整え、職員・患者の安全を図っている。

▲ページ上部に戻る

注22:複十字病院 第1回登録医制度総会を開催(2003年7月)

複十字病院は地域の開業医と連携し、地域医療の中心的な役割を果たすべく、03(平15)年7月「複十字病院登録医制度」を組織した。北多摩北部医療圏の医師を中心に223名の医師がこの会に参加し、第1回総会が盛大に開催された。以後、毎年開かれる総会には多くの医師が参加し、相互理解・協力・地域医療の質の向上に大きく貢献している。この結果、複十字病院への紹介患者は増加し、その比率は大学病院を超えるほどとなり、地域の医師-患者との結びつき・信頼が強化されている。

▲ページ上部に戻る

注23:新山手病院 循環器病センター開設(2004年5月)

個室15床を含む43床の病室、救急外来室、心臓カテーテル検査室、CCU8床を含む循環器病センターが04(平16)年5月に完成した。これによって急性心筋梗塞や重症心不全などの心疾患に、新山手病院は24時間対応できるようになり、地域医療への貢献が期待されている。病室は八国山の屋根に近く緑に包まれ、環境に恵まれている。これにより北多摩北部医療圏での循環器疾患センターとしての役割も果たすこととなった。

▲ページ上部に戻る

注24:グリューネスハイム新山手開設(2004年11月)

東村山の新山手病院の敷地内に、1Kまたは1LDKのバリアフリーの部屋45戸を備えた「メディカルマンション・グリューネスハイム新山手」が開設された。高度の医療を備えた新山手病院と、介護老人保健施設「保生の森」と同じ緑豊かな敷地内に建設されているので、病院の医師の往診、保生の森の生活相談員がいつでも相談に応じ、生活の支援を行う。しかもサービスは必要に応じて自主的かつ選択的に利用できる自由度の高い賃貸居住施設である。ゆったりとしたレストラン・共用スペース・ラウンジも備え、将来を考えた安心機能を備えたメディカルマンションのモデルとして考えられたものである。

▲ページ上部に戻る

注25:渋谷診療所を閉鎖(2006年3月)

53(昭28)年4月に上北沢予防所から場所を渋谷に移し、渋谷診療所と名称を変え、外来診療と集団健診、特に住民健診を幅広く行ってきたが、学校健診の定期化で受診者が減少、さらに96(平8)年に出張集団健診が本部に統合された以後は健診・外来ともに数が少なく、経営が困難になり、将来への見通しも立たなくなった。このため、上北沢予防所以来60年にわたる歴史を閉じ、貸しビルとして利用することとなった。

▲ページ上部に戻る

注26:COPD共同研究委員会発足(2006年4月)

01(平13)年に行われたCOPD(慢性閉塞性肺疾患)の疫学調査(NICE study, 2001)によれば、わが国のCOPD患者数は530万人と推定されているが、実際に診断されている患者は46~64万人で、大半は診断されず、治療も不完全である。予防会は胸部健康診断を毎年700万人以上実施しているので、このうちの40歳以上の喫煙者を対象に問診と呼吸機能検査を行い、COPDの早期発見・治療・予防に努めるとともに、COPD患者の実態を把握し、対策を進めることを目的に、支部・本部を挙げてCOPD共同研究委員会を発足することとした。

▲ページ上部に戻る