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結核対策と予防会のあゆみ

結核の歴史

1.わが国の結核の歴史の中の70年

ドイツのハイデルベルクで発掘された約9,000年前の人骨の第4、第5胸椎に結核カリエスの痕が認められ、エジプト先王朝時代(紀元前6,500~5,100年)のアダマイ遺跡で発掘された女性に、脊椎カリエスが発見されているので「結核は人類と共に古くからあった」と言われる。わが国では、およそ1,800年前の鳥取県の青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の人骨に発見された結核性変化が最も古い結核の痕跡なので、結核菌はその頃大陸からの渡来人によってもたらされたと考えられている。

しかし、当時の日本は人口希薄な農業、または狩猟国だったので、結核は広くは広がらなかった。結核菌が少しずつ蠢動(しゅんどう)を始めたのは江戸時代からで、本当の流行は明治の産業革命と共に始まった。巨視的に見れば、結核菌がわが国に侵入してから今日までの1,800年の結核流行は図1のように表わせるだろう。

図1

江戸時代前は、ほとんどX軸に重なった低い値が続き、江戸時代からの左裾は極めて長くゆっくりと上昇し、明治の急激な上昇と結びついたものと思われる。まん延は産業革命と共に始まった最近の約120年のことなのである。

2008年は、「明治」で表わせば「明治140年」にあたる。図2の1880年以前の結核死亡率は、以後の傾向線から推測したものであるが、こうしてみると結核予防会が活動してきたこの70年は、わが国で結核が本格的に流行した140年間の丁度半分に当たることが分かろう。

図2

結核予防会が創立された当時は、近代国家建設、あるいは、富国強兵政策の結果、結核は都市でも農村でも手がつけられない程広くまん延していた。結核死亡率は、20歳代の男では10万対562.6、女でも375.4という惨憺(さんたん)たる状態であった。結核対策の強化は、国にとって至上の要請だったのである。

それから70年、結核死亡率は10万対216.3から1.7に下がった。図から明らかなように、わが国の結核まん延が高い山を画いた140年間の丁度半分の時期を、結核予防会は夢中で働いてきたわけである。

勿論この70年間には、社会・経済・政治的に大きな変動があり、医学は大きく発展した。予防会が設立された頃は、丁度、X線集団健診やBCG接種が実用に供される時であり、設立後10数年で化学療法も可能になった。これらをフルに使い、国を挙げて結核に立ち向かい、世界で最も速いペースで結核を見事に抑え込んできた70年だったのである。

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2.今こそ大事な変革期

結核死亡率は、今では10万対2を割り、結核流行の山が終わったように見える。しかし、罹患率は2007年にも10万対19.8で、根絶には程遠い。わが国の結核罹患率が明らかにされている1949(昭和24)年から今日までの罹患率の推移を米国と比較すると、図3のとおりである。

図3

米国が現在の日本程度の罹患率に到達したのは、1969(昭和44)年頃である。そして、まさにその頃から約10年間をかけて、米国は伝統的に実施してきた結核対策を大きく改め、まん延状況と結核病学の進歩に対応した歴史的な転換を図ったのである。主な転換は次の3点である。

  • 結核患者の一般病室への収容(結核療養所の閉鎖)
  • 一般住民の結核発見のための胸部X線健診の廃止(有症状受診の促進)
  • 潜在性結核感染者治療の整備(リスク・マネージメントと化学予防による発病防止)

その後、米国では結核の逆転上昇、多剤耐性結核の院内感染の多発、移民・難民の結核の増加、HIV合併結核の増加などさまざまな問題が発生し、その度に目まぐるしく対応してきた。

結核罹患率が10万対20といっても、わが国と米国では内容が大きく違う。わが国では、高齢者の割合が圧倒的に大きいし、米国では黒人、ヒスパニック、移民・難民の結核の問題を無視できない。結核対策は、米国では州の自治に任されている部分が大きいし、わが国では一つの法律で均一に行われている。医療制度も大きく違っている。従って罹患率が10万対20になったからといって、米国を真似て対策を急に変える必要はない。しかし、今後も罹患率が徐々に減少し、地域によっては間もなく10万対10を割ることを考えれば、改めるべき対策は少なくないと考えられる。ヨーロッパ諸国も同様の変換を遂げたのである。

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3.世界の中でのわが国の位置

わが国の結核の状況を一言で説明する時、よく言われるのが「先進国で最下位」ということである。誠にそのとおりで、図4に見るように、段違いに高率なロシアを除けば日本は最下位であり、しかも先進国として普通頭に浮かぶ国々の2倍から4倍以上も高率である。米国やカナダと比べれば、約40年遅れている。

図4.5

しかし、図5を見て欲しい。日本と比較的関係が深い途上国の罹患率を示したが、わが国の罹患率は群を抜いて低い。図5には、今から約50年前の1955年の日本の罹患率も示したが、当時のわが国の結核まん延状 況は現在の多くの途上国よりずっと悪かったのである。1939年に結核予防会が創立され、1951年に結核予防法が大改定され、国民を挙げて努力をしてきた結果、今日の状況となったのである。

先進国で最下位ということは大きな問題であるが、戦後、世界に類を見ないスピードで結核を減らし、今日に至っていることも忘れてはならない。

次章では、こうして迎えた現在のわが国の結核の疫学的特徴について述べたい。

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近代日本の結核

前章で、わが国に結核菌が侵入してから1,800年経つが、

  • 結核の本当の流行は、明治の産業革命と共に始まったこと
  • それ以来の140年のうち、流行最盛期からの70年間、結核予防会は活動してきたこと
  • この70年で結核は見違えるほど減ったが、先進国では今も最下位に留まっていること
  • これから、結核対策は大きな改革期を迎えること

などを述べた。それでは、わが国の結核の現状、あるいは、今後10年位どんな状態か、簡単に整理してみたい。

1.以前ほど多くない、しかし、少なくもない

わが国の結核患者登録の統計がほぼ整った昭和26年には、1年間の新登録患者が590,662人だったが、平成19年には25,311人、23分の1に減った。特に著しいのは子供(0-14歳)の結核の減少で、手元にある最も古い年齢階級別罹患数で、昭和36年には53,532人だったのに対し、平成19年には全国で92人だったので、この46年間だけで見ても、582分の1になっているのである。結核がもっと多かった昭和26年頃と比べれば、1,000分の1程度になっているのである。

昭和26年頃、わが国には結核に有効な薬はなく、病気になればひたすら安静の日々を何年も過ごさねばならず、59万人を超える登録患者は病んで絶望的な日々を送っていた。健康な若者も何時結核になるか分からない。それに比べれば今は、結核の薬は幾つもあるし、6ヵ月で治療を完了する患者も少なくない。今では、治療中の患者は2万637人。隔世の感を抱かざるを得ない。

結核は、今や国民病として国を挙げて戦わなければならないほど多い病気ではない。しかし、少数の専門家が特定の病院で対応すれば済むほど少ない病気でもない。以前ほど多くはないが、特定の専門家だけで対応できるほど少なくもない。実際には多くも少なくもないことが、結核への対応を困難にしている。しかも空気感染で広がる可能性を持つ最大の感染症なのである。

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2.結核患者の偏在化はますます進行する

47都道府県の中で結核が最も少ないのは長野県で10万対10.3、最も多いのは大阪府で33.7、その差は3.3倍である。長野県が今の大阪程度の罹患率だったのは、今から26年前の昭和58年のことである。他の都道府県はこの間にあるが、時間で表せば10年、20年の差というのは大きな違いである。

さらに、結核患者は高齢者・社会的弱者・外国人・若者の一部など、一定のグループへの偏在化を進めている。

欧米先進国の結核対策の歴史を見ると、罹患率が10万対20から10になる頃、何処でも大きな変革が行われている。10万対20を割る頃から、古典的な対策から新しい対策に大きく変わらなければならない。わがは今、この時期に入っており、しかも地域格差が大きい。地域により対策を変えなければならない時を迎えているのである。都道府県別に罹患率の推移を見ると、罹患率、減少の早さ、患者の分布などはさまざまである。地域の実情に合った対策の実施が望まれる。この先を考え、将来に備えるべき時を迎えているのである。

(1)高齢者で高い罹患率

わが国の新登録患者(25,311人:2007年)の47.9%、12,122人は70歳以上の高齢者で占められている。60歳以上で見れば、62.5%の15,816人である。高齢者はいろいろな基礎疾患を持ち、これらの症状がある上に、結核の症状は比較的軽微なことが多く、しばしば診断が困難である。また、抗結核剤の副作用も出易く、治療に難渋することも少なくない。60歳以上では治療にもかかわらず、診断後1年未満で結核のために死亡される方が11.2%、その他の理由で亡くなられる方が24.4%、合計35.6%の患者が今も救命できないでいるのである。

図6に見るように、欧米先進国では高齢者の結核罹患率は極めて低い※1。ところが、つい最近まで結核がまん延していたアジア諸国では、高齢者の罹患率が著しく高い。わが国の結核は、今後ますます70歳、あるいは80歳以上の高齢者の割合が高くなると予想される。高齢者の結核対策を進めることが望まれる。特に結核罹患率が低くなっている農村部では、高齢者の比率が高いので重要な問題である。

図6

(2)難しい都市の結核

一方、大都市を中心に若者の結核の問題が徐々に大きくなってきている。ネット・カフェやパチンコ店での感染など、従来と異なる感染の場が見られ、発病すれば受診が遅れ、広がりが大きくなることも少なくない。

40歳代以上の人々の間では、ホームレスや無職の人々の結核、あるいは、建設飯場やサウナでの結核感染なども、最近注目される大都市での結核問題の1つである。

また、結核の院内感染、とりわけ看護師の結核も憂慮に堪えない問題である。罹患率は一般女性に比して4.3倍も高く、しかも最近、年々高くなっている。先進国にあるまじき問題である。緊急に解決が望まれる。

(3)次第に問題となる外国人の結核

欧米先進国の多くで、移民・難民・出稼ぎ労働者など外国生まれの人々の結核が、新登録患者の半数以上を占めている。英国のように、このために結核が増加している国もある。わが国でも外国人の結核は徐々に増加しているが、つい最近まで新登録患者の1.5%だったのが3.3%になった程度の問題である。しかし、今後を考えると、労働力の不足、外国人の増加など外国人の結核が増える可能性が大きい。対応を進めることが必要である。

(4)その他の問題

わが国では、今はHIV感染者の結核はそれほど広がっていないが、最近の傾向を見ると不気味に増加している。多剤耐性結核の動向にも注意が必要である。多くの先進国のように、今後結核減少が鈍化する可能性も否定できない。結核に対する国民の関心が低下し、政治的に軽視されて対策の実施が困難になる可能性も否定できない。

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3.結核が少ない国まであと10年

結核研究所の大森ら※2は、5歳階級ごとのコホート分析をいくつかの条件のもとで試算し、2030年までの将来推計を行った。推測される数字は条件によってかなり大きく変わるが、最も高い予測と低い予測を捨て、中間の予測値の平均を取ってみると、表に見るように罹患率が10万対10となり、結核が少ない国の仲間入りするのは2020年頃と予測された。この頃になると、新登録患者の37%が75歳以上の高齢者で占められる。一万、22%は25~44歳の働き盛りの年齢の人達であり、この比率は徐々に高くなっていく(新登録数、罹患率、75歳以上の%などを見ると表1のとおり)。

表1

つまり、老人施設や1人暮らしの高齢者の結核が増え、発病後早期に亡くなる方も少なくない。一方、都市では50~69歳のホームレスやワーキングプアなどの結核が増え、20~44歳の働き盛りでは、不特定多数が利用するサウナや終夜映画館など、さまざまな場所での感染が起こる。保健サービスが届き難い人達が火種になって、社会的弱者に結核を広げていく。若者の間でHIV感染が広がれば、結核の様相はさらに複雑かつ深刻になっていく。

今、世界の結核の専門家が使っている「結核根絶」のレベル、罹患率10万対0.1以下に達するのは、わが国では恐らく今から100年以上も先のことであろう。

次章では、このような疫学的状況の下でどんな問題が発生するか、これに国民、政府、あるいは結核予防会や結核予防婦人会はどう対応すべきかについて述べたいと思う。

文献
※1 WHO. Global Tuberculosis Control 2008.
※2 大森正子、吉山崇、石川信克 日本の結核蔓延に関する将来予測。 結核 2008;83:365-377.

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