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婦人会のあゆみ

■結核予防会の発足

昭和14年、結核死亡者は年間数十万人に達し、死因の首位を占めていました。また、患者や死亡者は青年に多く、結核は国民衛生上の最大の課題でした。

4月28日、当時の平沼内閣は、香淳皇后から「官民力を合わせて結核の予防に努力するように」とのお言葉と共に、お手元金50万円賜り、5月1日に結核予防会の設立を決定し、22日に寄付行為が認可され、財団法人結核予防会が発足しました。

■結核予防婦人会の発足

結核予防会総裁秩父宮妃殿下(当時)が、昭和25年7月に長野県内の国立療養所に結核患者を慰問された際に、長野市連合婦人会幹部らを結核予防活動に尽力するよう励まされたことがきっかけとなり、長野市結核予防婦人委員会が結成されました。

その年の9月、長野県御代田村小学校で結核集団感染が発生したことを契機とし、家族や地域から「結核をなくそう」と県内各地域で結核予防婦人会が組織されました。数年後、昭和32年には全県組織としては日本初の結核予防婦人会長野県連合会が誕生しました。

この動きが全国に広まる一方、結核予防会では「結核予防は主婦の手で」をスローガンに掲げ、家庭婦人を対象にした結核の教育や広報活動の強化に努めました。その状況を反映するように、昭和37年の結核予防週間の標語として「主婦の力で結核をなくしましょう」が採用されています。

昭和38年長野市で「家族の健康を守る全国主婦のつどい」を開催し、昭和40年から御殿場市において、結核予防婦人組織の育成、強化を目的に「結核予防関係婦人団体幹部講習会」が始まりました。

こうした中で、結核予防婦人会関係の全国組織を作ろうという話し合いが進められ、昭和50年4月10日に東京で開かれた全国代表者会議において、全国結核予防婦人団体連絡協議会(以下結核予防婦人会)が発足し、同年10月20日、秩父宮妃殿下ご臨席のもと結成大会を開催しました。さらに組織の強化と事業の拡大を図るため、昭和52年5月17日に厚生大臣から社団法人の認可を受けました。

■現況と課題

結核予防婦人会は、婦人の組織的な力と会員間の相互協力により、結核及び生活習慣病予防を中心とした公衆衛生思想の向上及び実践活動などを目的とした公益法人であり、48の都道府県市(札幌・京都の政令指定都市を含む)の婦人団体で構成され、約160万人(平成15年現在)を数える日本最大の健康に関する婦人組織でしたが、 平成21年度現在では、市町村合併などの影響を受け、約100万人と、減少してきています。

会員は全国の各地域で結核予防会と連携して衛生行政に協力し、なかでも結核予防についての啓発活動、検診奨励、複十字シール運動など、行政の力が及ばない分野で、きめ細かく熱心に活動を続けています。

その一方、平成15年の実態調査によると、本会の活動範囲は結核問題のほか、生活習慣病、高齢者、社会福祉、社会教育、環境などの広範囲に及んでおり、また、就労女性の増加、地域共同体意識の低下、価値観や福祉ニーズの多様化、組織の弱体化などにより会員の減少や高齢化がみられます。

日本の結核の現況は、平成9年から罹患率が3年連続して前年を超え、厚生大臣は11年7月「結核緊急事態宣言」を発令しました。 【平成19年、予防法改正に伴い感染症の中に統合され、状況の変化、新たな時代を迎えています。】

結核予防婦人会は、今後も結核予防会と連携を密にして、結核予防への関心を高めるため、地域住民、行政、医療従事者らと協力して、地域の状況に合った結核予防活動や複十字シール運動を強化し、それらの活動を通じて連帯感や公共心が高まることにより、婦人会組織の活性化を図ることが望まれています。